【小泉今日子さんインタビュー】デビュー40周年!デビュー記念日に行なわれたライブと、主演映画・舞台で織り成す1週間の大特集!【WOWOWオンデマンド】

デビュー40周年を祝し『小泉今日子 TOUR 2022 KKPP(Kyoko Koizumi Pop Party)』を開催、全国12カ所15公演を巡った小泉今日子。デビュー記念日の3月21日に開催された中野サンプラザ公演の模様は、5月28日(土)にWOWOWで独占放送・配信、全曲オンエアされる。あわせて、5月22日(日)からは映画・舞台など出演作品群も続々とオンエア。歌手と俳優という二つの顔を持ち、表現活動を繰り広げて来た彼女の40年の軌跡を浮き彫りにするのが、『デビュー40周年!小泉今日子特集』である。
3月30日(水)に千秋楽を終えた31年ぶりのホールツアーは、厳重なコロナ感染防止対策の下決行。バンドメンバーはもしもの場合に備え代役に譜面を渡していたというが、スタッフ含め誰一人感染せず完走した。歓声を禁じられたファンは拍手と手拍子に想いを乗せ、心の声を通い合わせた熱いライブ。「あなたに会えてよかった」「優しい雨」など大ヒットシングル群を詰め込んだセットリストの構成、演出は全て小泉が手掛けた。

デビュー40周年!小泉今日子特集

小泉今日子 TOUR 2022 KKPP(Kyoko Koizumi Pop Party)
2022年5月28日(土) 午後7:00 <WOWOWプライム><WOWOWオンデマンド> ほか

「ただ過去を懐かしむことをテーマにするのは嫌だったんです。この40年間、ファンの皆さんにもそれぞれの人生があって、生活があって。でも、そういう私たちが集まるのだから、関係性をアップデートしたいなと思って構成を考えました。私と同世代であれば皆さん初老の域に入っているわけで、何かを諦め掛かっていたり、ワーッと騒ぐようなことも減ってきたりしている中で、『ここでは全員が同じ気持ちだから、この空間を楽しんでいいんだよ』って。それを活力に、例えば明日出会う5人に少しずつ元気を分けたら、またその人たちが元気になっていく。そういうことを繋げていきたかった。皆さんのお顔を見ていたら『あ、できたな』と思えたし、後から感想を聞くと『込み上げてくるものがあった』とおっしゃる方も多かったらしくて。それは、次に行くために溜まっていた澱を出す、みたいな感じだったのでは?と。だから、ちょっと元気になった中高年が増えているのではないかしら?と思っています」

当時の振り付けのまま生き生きと躍動的にパフォーマンスする小泉。ホロガーゼを用いた虚実入り混じる演出も楽しく、深い没入感をもたらすステージングである。従来のアイドル像を破壊・再構築した記念碑的ナンバー「なんてったってアイドル」から、ブリティッシュロックの哀切を湛えた名バラード「木枯しに抱かれて」まで、同一人物のレパートリーとは思えないほど楽曲は多種多様、かつ商業的な成功も収めてきた稀有なアーティストである。

「私の曲を並べてみると、ジャンルで言うとバラバラでバラエティーに富んでいる感じがするので、それを逆手に取ってどう面白く演出できるかな?って。例えば『まっ赤な女の子』と『渚のはいから人魚』、『ヤマトナデシコ七変化』と『艶姿ナミダ娘』を組み合わせて、『気が付いたら曲変わってる!』という見せ方がしたかったんです。それと、『Fade Out』というハウスの曲を、『私の16才』とくっつけたら面白いかな?って。『私の16才』って、当時は『昭和感が強いなぁ』と思っていたんですけど、今改めて聴くと実は四つ打ちで、イメージが変わったんですよね。だったらその仲間に入れてあげたらいいんじゃないか?とか。しかも、私の中でも最も異色の曲と、スタンダードな歌謡曲っぽいデビュー曲とを繋げることで、その幅の広さが一発で分かるだろうし。そういうことを考えるのが楽しかったです。曲もそうですし、ファンの皆さんとの関係性もそうですし、このツアーではアップデートをしたかった。それがテーマになっていました」

中盤の「夏のタイムマシーン1982-2022」では、40年間に撮影された膨大なヴィジュアルの中から厳選した写真たちをモーフィングするMVを上映。過去の自分と今の自分とが対話する歌詞の世界観が演出とリンクし、イメージが増幅していくハイライトだった。写真の小泉は少女から大人へと移り変わっていくが、その笑顔の輝きは時を超えて不変である。もう一つ、このライブで“変わらないことに驚いた”のが、唯一無二の声質と、その圧倒的な強さ。歳を重ねてキーを下げる歌手は少なくないが、小泉はオリジナルキーを貫いている。

「これは七不思議の一つです(笑)。舞台俳優として経験を重ねてきたのも、もしかしたら影響があるのかな?というのと、40代までは滅茶苦茶お酒を飲んでいて、締めに必ずカラオケへ行って高いキーの曲ばかりを狙って歌っていたのが良かったのかも(笑)。あとは、このライブを開催すると去年決まってからは、少しだけボイス・トレーニングに通ったり。そのぐらいの努力はしていましたけど、誰も解明できない謎です(笑)」

出演映画やドラマの主題歌を歌い、時には作詞も手掛け、作品世界に寄り添いながら普遍へと昇華する表現手腕は高く評価されてきた。この40年は、俳優、音楽家という二つの顔が互いに作用を及ぼし合いながら、双方が磨かれてきた軌跡でもある。

「元々歌手なので、歌を歌うとかつくることは、通常の業務というか。その中にドラマや映画の主演がたまに入ってくるんだけど、主題歌まで担当する人ってよく考えたらそんなにいないんですよね。作家として依頼されているようなものだから、物をつくる身としてはうれしいと感じていて、それにどう応えるか。既にある曲を『これが合うんじゃない?』と渡すようなことはしたくなくて、ちゃんと一からそのプロジェクトに音楽のほうでも参加する、という感覚があったと思います。なので、その台本の内容とかが曲に反映されていくことになります。ただ自分のアルバム用に曲をつくる時は、もっと自由なんですね。でも自由って意外と不自由でもあるから。物をつくる時って、テーマを見つけることがたぶん一番大変なんですよね。だから、自分だと一生辿り着かないようなテーマを提示してもらうことで、自分の知らない、気付いていない言葉の世界が出てくる、という楽しさがありました。自分の意見だけでずっとつくっていると、その発想の泉はやっぱりちょっと涸れてくるんです。30代ぐらいで歌手活動から俳優活動へと軸足を変えたのは、そういう感覚があったからだと思うんですよ。泉の水が少なくなってしまって、苦痛になってくる。でも、今回は31年ぶりでしたから、泉には水が一杯ある。そんなツアーでしたね」

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