【吉田兄弟】<吉田健一さんインタビュー第2弾>数多くの作品とのコラボ、先駆者としてヒーローを目指す人たちへメッセージ

【ジビエートプロジェクト、SUGIZOとのコラボ】

―― この『ましろのおと』がどんどん間口を広げる役割になっていければいいなと思いますね。 いよいよここで青木さん(ジビエ―トのプロデューサー)とのつながりのジビエートプロジェクト、 SUGIZOさんとのコラボもありましたけれども。声をかけられてまずどう思いました?
※ここでジビエ―トプロデューサー青木氏が登場

ジビエ―トプロデューサー青木良氏(右)

青木 『ましろのおと』より後の話だよね?

吉田 話を並行してはいたんですけれども、そもそも公開の時期がちょっと違ったのでこの劇伴を作ったよりも後ですね。これの方が後です実際は。主題歌ということ自体、三味線で主題歌って聞いたことがないしそもそも。あとは歌がないじゃないですか。 SUGIZOさんとも話していて『歌がない主題歌のアニメってあるの?』って。そしたら SUGIZOさんが『ルパンがある』って言ったんです。それで確かにみたいな。それぐらい和楽器界にとってもアニメ界にとっても歌がないもの主題歌にするって青木さんも制作委員会とかで話された時に賛否両論は絶対にあったと思うんですけれども。それを青木さんがゴリ押ししていただいて(笑)

青木 世界同時公開なのに日本語が邪魔なんだよって言ったんですよ!

吉田 青木さんが考えているのが日本じゃないですよ。

―― 確かにカンファレンスとかでもそういうのをやられていましたね。

青木 それでというのと1個特筆すべきは出来上がったものが、三味線の限界を超えるんじゃないかぐらいのすごく攻撃的な曲が出来上がったということで、お兄ちゃん(良一郎 さん)ともフレーズの取り合いをここでもやってくれたというのが(笑)

吉田  (笑)最初に青木さんとこの話をいただいて、制作に入ろうといった時にやっぱりまず青木さんが何をイメージしているのかというのが CM とかもそうだと思うんですけれども大事なところで。何回もお食事ご一緒させてもらっているので、しっかりと聞く中で2人でスタジオに入ったんですよ。こんな感じですかねとプレゼンして、そのフレーズをもとに SUGIZO さんと始めたので。これはすごく良かったかなって思っていて。その後 SUGIZO さんからある程度の尺でデモが上がった時にはほぼ80%ぐらい出来上がってた感じだったんですよね。

―― じゃあ最初からスイングも良かったという感じですかね。

吉田 既にフレーズにメッセージがあったというかそういう感じだったと思います。

―― SUGIZO さんとのコラボも気持ちよくできたんですね。

吉田 はい。変拍子、いわゆる偶数で割れないような難しいフレーズとかもかなり盛り込んだ結果、すごく再現性が低くなってしまいました(笑)

―― (笑)難しすぎて?

吉田 難しすぎて(笑)1回やったんですけどもバンドメンバーもすごく難しいから緊張しているんですよ(笑)

青木 聞いてファーストの公開の時に言ったんだよ。『お兄ちゃんの顔と健一の顔が…』

吉田 全然楽しめないです(笑)

青木 ちなみになんで SUGIZOさんかというのも、たまたま重なるのが20周年だということで20周年の題目で作るのに別にお任せしても良かったんだけれども、単純に華としてもう1つぐらい添えた方がコラボレーションといっても逆に伴奏者としてのコラボレーションは多かったから、逆にそうじゃなくて自分たちが主役で立ててもらうようなコラボレーションをしてみなよと言って SUGIZOさんにお願いしたという。

吉田 そうなんですよ。ちなみに SUGIZOさん和が大好きだから和太鼓とかのチームとかとも一緒にやっているし、ものすごく好奇心のある方です。三味線の話もさせていただいて、プロデューサーという立場のお仕事をやっぱりすごくされているからプレゼンしても、もちろんだめとも絶対に言われないし、それで何とか形にしていくという中で、いくつか提案した難しいフレーズも何パターンか欲しいと言ったから全然違うものをいっぱい送ったら結局全部使われてめちゃくちゃ難しくなっていたんですよ(笑)『プレゼンはしましたけれど難しいですよあそこは』と言ったら、『健一君が送ってくれたやつじゃん』って。『全部使うって言ってないじゃん『(笑)』みたいな。結局兄貴が弾けないみたいな(笑)それを見て青木さんが笑っているわけですよ。

青木 俺は全部頭に入っていたから、これは今どういうことが起こっているんだろうと(笑)

吉田 それぐらい難しいんですよ。1番『ガーっと』盛り上がるところ。それが終わって大サビで『ズバーっと』解放されるところがあるんですけれどもすごい難しいんですよね。
※ここで青木氏がその時の動画を流す。

―― すごいですね本当に。

青木 SUGIZOさんもよくやってくれました。自分が弾かないからって(笑)

吉田 そうですよね(笑)

青木 でもSUGIZOさんはアレンジという役で脇役になってくれたからエンディングは作曲ということでどうぞっていう風にやったわけですよ。

吉田 ちょうどお互い SUGIZOさんとも話して、LUNA SEA が30周年迎えたので、当然 LUNA SEA とか高校生時代に聞いていた方だし、あの感覚を持っている人が三味線をアレンジしたらどうなるかなという興味はめちゃくちゃあったんですよね。だから弾いている時に色んな高校生時代の思い出とか色んなものが出てきてしまって、すごい楽しかったし良い経験をさせてもらったなというのが1番ですね。

―― やっぱり色んな大物、天野(喜孝)先生なんかも含めて日本を代表するような皆さんがプロジェクトチームを作ってやっていたのですごいなという風に思いました。 その中で吉田兄弟のお2人もパーンと出られて。

吉田 僕らが1番年下だったのでね。僕らで大丈夫かなと思って。本当は去年の5月でしたっけ上海行くはずだったのは?

青木 そうだね、5月1日に上海で全員が揃うっていうステージがあったんです。でもコロナで飛んてしまって。

吉田 そのあとロス(ロサンゼルス)もありましたよね。

青木 ロスでは俺と天野さんと吉田兄弟が行って演奏するというのが決まってたんですよ。

吉田  実際は本当の舞台とかステージの本番で SUGIZOさんと一緒にやってないんですよ。やれてないんです。本当はその上海でやれたらねという話はあったんですけれども、結局なくなりそれだけが僕は悔いで。どこかでSUGIZOさんとがっつりやれる時が来たらいいなというのは今でも思います。

―― それはある意味ひとつのまた夢で残しておいても。今後の可能性としては。

青木  (ジャイアント)馬場対(アントニオ)猪木みたいなもんですかね(笑)

―― (笑)そうですね、 幻に。でも非常に嬉しいなと思います。

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